栂海新道の大地と歴史
栂海新道とは
栂海新道は、親不知日本海の標高0mから白鳥山(1,287m)、犬ヶ岳(1,592m)をへて朝日岳(2,418m)を結ぶ全長約27kmの北アルプス最北部の縦走路です。栂海新道は、故・小野健会長の「さわがに山岳会」が1966年から抜開を始め、1971年に全線開通しました。
長大な縦走路では、標高0mの海岸線にある植物から2,000mを越える高山植物のお花畑まで、低山帯~山地帯~亜高山帯~高山帯の多様な動植物を見ることができます。
また、地質的には親不知から朝日岳に向かうにつれて山を造る地層の年代が古くなります。親不知では、中生代白亜紀(約1億年前)の地層が分布します。白鳥山や菊石山、犬ヶ岳では中生代ジュラ紀(約2億年前)の地層があり、植物化石やアンモナイトの化石が知られています。黒岩平から白馬岳にかけての地層は古生代ペルム紀や、さらに古い(約2億5千年前より古い)岩石であり、特に蛇紋岩や結晶片岩といった変成岩が分布し、ウルップソウなどの蛇紋岩地帯特有の高山植物を観察することができます。
栂海新道は、標高0m~標高3,000mの植物の垂直分布と同時に、山々をつくる中生代~古生代ペルム紀の山を造る岩石の水平分布を見ることができる、日本でも唯一の縦走路なのです。

朝日岳と栂海新道

ウルップソウ

アンモナイト
さわがに山岳会 故・小野健会長
さわがに山岳会の小野健会長は、1932年福島県いわき市生まれ。早稲田大学第一理工学部鉱山学科を卒業後に、電気化学工業株式会社(現デンカ株式会社)青海工場の原石部に入社しました。職場である青海黒姫山より見た白馬岳から日本海に至る山々に感動し縦走路の開拓を夢見ることになります。
1961年にさわがに山岳会を結成し、1966年より栂海新道の伐開作業に着手しました。無断伐採の嫌疑による営林署からの呼び出しなど苦節11年、1971年に栂海新道は開通します。現在は、小野健会長の意思を引き継いだ地元のカタクリクラブと栂海岳友会、そしてドンガラ山の会や栂海山遊同人など協力団体が整備を実施しています。

小野健(1932-2014)
栂海新道の歴史
1961年 | さわがに山岳会を会員7名で結成 |
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1962年 | 糸魚川市清水倉に黒姫小屋を建設 |
1964年 | 黒姫山の現登山道「さわがに新道」伐開 |
1965年 | 黒姫山にさわがに新道開通(清水倉~金木平) |
1966年 | 第一期 栂海新道伐開開始(青海川上流アブキ・アイサワ出合い~三保倉南峰~菊石山~犬ヶ岳) |
1967年 | 犬ヶ岳まで開通(第一期 栂海新道伐開終了) |
1968年 | 第二期 栂海新道伐開開始(犬ヶ岳~朝日岳北斜面吹上のコル) |
国有林の無断伐採について営林署取り調べ | |
1969年 | 犬ヶ岳頂上付近に栂海山荘を建設 |
1970年 | 朝日岳北斜面吹上のコルまで開通(第二期 栂海新道伐開終了) |
1971年 | 第三期 栂海新道伐開し全線開通(菊石山~親不知登山口) |
1972年 | 山と溪谷社「山岳賞」受賞 |
1978年 | 栂海山荘横に倉庫として栂海小屋を建設 |
1984年 | 栂海新道整備の応援としてベニズワイグループ(故・斎藤八郎代表)結成 |
1985年 | 新潟日報社文化賞受賞(栂海新道開発と維持管理) |
1989年 | 地域山岳会カタクリクラブ結成(会員115名) |
1991年 | 白鳥山山頂に白鳥小屋を建設(旧青海町施工) |
1994年 | 栂海小屋更新 |
1998年 | 白鳥小屋が全焼し再建 |
2021年 | 栂海新道開通50周年 |

1962年 黒姫小屋の建設

1968年 栂海新道伐開のベースキャンプ

1969年 栂海山荘の資材の歩荷

1970年 最初の栂海山荘

1971年 栂海新道全盛開通

1978年 黒岩平の整備ベースキャンプ

1990年 栂海小屋の除雪

1998年 再建された白鳥小屋

2001年 第12回共栄電工社合同整備
撮影:小野健